現代における「いまここ」に集中する潮流について

「今ここ」に注目する流れが、現代において顕著にみられるようになってると思う。私が大学院にいたときは、「いまここ」を追求して旅をする人たちに注目し、社会学でいうところの「コンサマトリー」(注:一時的な楽しみを追求すること)概念にはまってたし、今では、シリコンバレー経由で逆輸入されたマインドフルネス瞑想を日々実践しているわけで、様々な分野において、「いまここ」に注目する動きがあると感じている。本記事では、以上を踏まえ、「大きな物語」の凋落にともなう思考の方向性の変容、仏教思想に基づく苦のありか、 人間の操作可能対象範囲、 の3つについて、夢想したい。

「大きな物語」の凋落にともなう思考の方向性の変容

「大きな物語」が凋落し、未来志向になれない我々は、どうしても「今ここ」の楽しみを優先しようとする。未来に希望がないのなら、今楽しければそれでよい!思想になるのは当然だ。「大きな物語」が機能していた高度経済成長期でも、たとえばホワイトカラー労働者ではなく、明日死ぬかもしれない炭鉱夫は、お金を貯金せず、パッと使い果たしてしまってたそうだ。

永続的な経済成長、大企業神話が欺瞞であるとわかっちゃった現代では、定職に就かず旅をする「旅人」の存在を招く。彼らの将来性を不安視する者も多いが、むしろ不安定な社会において、充足した人生を過ごすために、うまく適用した結果であるともいえる(大企業に居座って使えないオッサンになるほうがリスク高い現実)。「安定しないこと」をデフォルト設定にすれば、どんなに社会が荒れ狂っても、対応できる。そう考えると、「旅人」は社会という荒波をうまく乗りこなして生きることに成功しているのだ。

仏教思想から読み解く苦の所在

旅人の思考は、仏教思想から読み解いても合理的であるといえる。仏教では、苦は人間の内面にあると考え、かつ過去や未来のことを考えてしまうから苦を自ら生み出しているとの考え方がある。まさにマインドフルネス瞑想では、過去や未来のことを考えないようにして「今ここ」だけに注目すること目指してトレーニングするわけだが、旅人はそれを瞑想時だけでなく、生きてる時間のほぼ全てにおいて実践できているわけである。いわゆる「人生エンジョイ組」(定職につかず、ふらふらと旅する人のことを指したりする)と揶揄される人々はマインドフルな状態をほぼ常に保っているわけだ。

人間の操作可能対象範囲

ここまで、「今ここ」に注目することについて論じてきたが、最後に、「今ここ」に注目することが結果として未来を変えていくことを指摘したい。

人間はタイムマシンでも開発しない限り、「いまここ」にしかいられない。すなわち、社会に作用できるタイミングは「今」だけなのである。「いまここ」を全力で生きないと、結局は未来も変わらない。今やりたいことを、できることをコツコツとやることが、未来を変えるのだ。すなわち、人間操作可能対象範囲は、実質「いまここ」という一点のみだと私は考える。未来は、その「いまここ」を積み重ねた結果でしかない。

そう考えると、バカにされがちなコンサマトリー思想に基づく生き方は、すごく現実的だし、合理的な生き方となる。