
前ページでは、キャンプ場がうまれた社会的背景から、毎日安定して参加できる団体が見つかるまでの期間をしるした。このページでは、キャンプ場の利用も禁止され、さらには、旅人を受け入れてくれた団体がねぶたの運行を終了せざるえなくなり、安定して参加できる団体が無くなってしまうという、なかなかな困難の時代について説明する。
キャンプ禁止勧告をうける!

1997年、キャンプ禁止勧告を受ける。その理由は、豪雨がきて、多くの旅人がフェリーターミナル建物内に避難して、客でもないきたねえ旅人が大量に押し寄せてきたことで、堪忍袋の緒が切れてしまったようだ。そもそもフェリーターミナルの芝生を勝手に長期間陣取って、不法にキャンプしてたわけだから、グレーな感じだった。大量避難事件は、この黙認状態を完全に断ち切ってしまったのだ。
結果として、1998年までフェリーターミナル内でのキャンプは許されたが、1999年から、一切できなくなってしまったのである。
それに対応する旅人
この通知をうけて、旅人のなかで、新たなるキャンプ場を探すうごきがあったようだ。青森市郊外にあるキャンプ場が候補にあがったりしたようだが、結局定まらず、1999年以降どうなるかわからないまま、98年のねぶたの夏が終わってしまったようだ。
【神降臨】 青森市観光課によるキャンプ場設置

そんな矢先、旅人たちに救いの手を差し伸べたのが青森市観光課であった。旅人は毎年熱心にねぶたに参加し、祭を盛り上げてくれてもいるから、どっかの空き地を提供してあげよう、という話になったらしい。
旅人の受け皿を行政が作ってくれるなんて、青森市の英断っぷりには感服する。
こうして、キャンプ場閉鎖の危機を、合法的な滞在方法を生み出したことで、乗り越えたのだ!
参加団体のねぶた運行終了
恒久的なキャンプ場を獲得できて安心できたのもつかの間、旅人たちはさらなる難題にぶち当たる。
なんと、跳人に扮した旅人たちを毎日受け入れていてくれた某団体が、ねぶたを運行しなくなったのである。(その団体は現在に至るまで大型ねぶたの運行を再開していない)
旅人跳人の某団体への参加は、その某団体のねぶたの最終運行年である2001年をもって終了となり、2002年と2003年は、毎日受け入れ先がかわる「跳人難民時代」へと逆戻りしてしまった。
跳人難民時代でも、旅人が跳人としてねぶた祭に参加できたのは、二代目総長や某団体の元親方が受け入れ先を毎日探してくれていたからとのこと。この時の苦労も想像に容易い。
「平成14年の政変」勃発

ボロボロのキャンプ場に、追い打ちをかけるような事態が発生する。当時キャンプ場の利用者を牛耳っていた、複数の自称リーダーたちの総辞職である(当時は複数のリーダーが乱立しており、合議によって運営していた模様。二代目総長はその中の事務方実質トップ)。
総辞職の理由は、自称リーダーたちの仲間割れ。合議の結果、来年度からはみんなねぶたにこないようにしようと決まった。なので、自称リーダーたちに見込まれた次世代のリーダー約8人を選定し、仕事の引き継ぎをしたようだ(後に生まれる三代目総長はこの中の1人)。これが「平成14年の政変」である。
2003年。二代目総長の不在
平成14年の政変後、初のねぶた祭が2003年であった。次世代のリーダー約8人が選定されたが、蓋を開けてみると、結局2,3人しかこなかったという。さらに、2004年になれば、後に三代目総長しかこなかったのだ。
こうして2004年から三代目総長が先頭にたち、旅人を率いていく体制が定まったのだ。
最後に
国替え、外交で失敗、内政も混乱した時代
この時代は、フェリーターミナル運営会社によって領土替えを強制され、参加運行団体が消滅しその後も受入先がしばらく決まらなかったという意味で、外交に失敗し、平成14年の政変もおきて内政も混乱した。
時代背景をいうと、カラスハネト対策に青森が本腰をいれて取り組みだした時期だったので、カラスと同一視されていた旅人が青森ねぶた祭に安定して参加し続けることは、本当に難しかったと思われる。もしかしたらこの時をもって旅人跳人は絶滅していたかもしれない。
多分、当事者である旅人は、「この難局をなんとしても乗り越える」だなんてそんな意識高いことは絶対思ってなくて、「まぁ、来ればなんとかなるっしょー!」って軽く思ってたぐらいだと思う。
で、現になんとかなっちゃうのである。だから今がある。次のページでは、三代目総長が、今旅人の受け入れ団体である某団体のお偉いさんたちに直談判しにいき、今日まで続く旅人の受け入れ先団体をみつけるところから論じることになる。
その3はこちら↓
参考文献
このページは、キャンプ場の古株の皆様方、三代目総長らによる貴重な証言をもとに構成しております。関係者様にご迷惑をかけたくないので、無断転載等は固く禁じます。なお、著作権は私にあります。
また、本記事を公開するにあたり、本キャンプ場に長く関わっている方から監修をうけております。
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