南米で食中毒になって4日間入院した話

Travel

ペルーで、サルモネラ菌食中毒で入院

原因はバスの機内食でだされた加熱不良の肉

ペルーで食中毒になって入院しました。入国してから一日目の夜に食べたご飯がおそらく原因だと思います。。。つらたん

皆さん、Cruz del sur(クルーズ デル スール)っていうバスしってますか?南米旅行者はまずみんな知ってる、南米一高級なバスです。ハイクラスの現地人や外国人がこぞって利用しています。最上級のCAMAクラスはもう本当に快適です。そして、素敵なことに機内食までついています。私はリマからクスコまでの約20時間をこれで移動しました。しかもネットで予約でき、自分が食べたいものをチョイスできます。やっぱ外国の飯で安定してるのは、肉だよなぁ、ということで日本から予約しておりました。

日本人にも大人気Cruz del sur、この機内食なんだから、安心できるだろう!ということで躊躇なく召し上がる。ん?この肉生焼けじゃね?しかも、このお弁当、注文したの俺だけ?みんな違うのくってね?まあいいや。多分Cruz del surのご飯が食べれなければ、今後南米で何も飯食えねえってことだろうから、ここは気にせずくっちまえ!!そしてサルモネラ菌は私の体内に取り込まれたのでした。そして、その時私はのんきにねぶたで囃子跳ねをしている夢をみていました。

20時間バスにのりクスコに到着

約20時間のバス旅を終え、無事クスコに到着。標高は一気に約3300mまであがる。デリーの薬局で買ったダイアモックスが聞いているせいか、半年前に高所に行って自分の体にどのような変化が生じるのか理解しているせいか、高山病の気配はほぼない。インカ帝国旧都の壮観な景色に見とれながら、私は宿にチェックインし、インカの初夜を迎えたのでした。

あれ、下痢が止まらないぞ?

しかし、その後下痢が止まらなくなる。ドミトリーだったので、同じ部屋にはメキシコからきたという日本人の女の子が一人。ベッドルームとトイレはつながっている。俺のブリブリ音もにおいも多分全部いってたと思う。そのことについて何も触れない彼女。まじで申し訳ねえ。

俺はこの下痢を「この下痢を乗り越えれば、俺の胃腸が南米に順応する」と本気で思っていた。旅先で割と毎回お腹壊すんだけど、一回壊れると現地に順応した胃腸が完成するのさ。経験則的に。まじで。

マチュピチュ村の診療所へ

下痢はとまらなかったが、だましだまし、キャンプ装備を積んだ14kgぐらいのバックパックを背負いながら、10kmの行程を歩き、マチュピチュ村に到着。そしてマチュピチュを観光し、ワイナピチュ山も登りました。でも明らかに体調がおかしい。下痢がさらにとまらなくなった。あれ俺の下痢、緑色じゃね?これやばくね?ってか体苦しすぎる。だめだ、もうだめだ。病院だ。というわけでマチュピチュ村の診療所へ。

スペイン語でのやりとりとなり、まじで四苦八苦したが、英語を交えながら現状を報告

すぐに点滴をうち、看護師に介抱されながら定期的に排便しようとする。だがもう出し切っているのででない。お腹の痛みは定期的にやってくる。結局看護師は徹夜で俺の看病をしてくれた。まじで感謝。

クスコの外国人向けの病院に列車にて搬送

結局町の診療所では対応できない、ということになりクスコの病院で精密検査を受けろ、ということになった。しかし、マチュピチュ村は陸の孤島で、鉄道でしかつながってないんですよ。このモータリゼーションの現代において、こんな村存在しちゃっていいんですか?!だってマチュピチュの麓なんだからもう少しきちんと観光開発されてもいいような。。いやあえてこういう仕組みで流入量や地域に落ちるお金の量を調整しているのか、、、そんなことに関心している場合ではなく、私はクスコにいくために、列車でマチュピチュを脱出しました。

食べれない、英語通じない、高山病辛い、日本に帰りたい

やっとのことで、クスコの大病院に到着。すぐにwifiつきの立派なベッドで横たわる。病院食がだされるが、人体はボロボロなのに、ペルビアン料理しかでてこなくて、俺の口にあわない。「i wanna eat japanese food..」と無理なことばっかりいってた。おい俺やべえよ。しかも英語通じない。だから頑張ってスペイン語話すんだけど、おかげですごいスペイン語覚えられた。この経験をもとに「ベッドの上のスペイン語」っていう本を書きたいと思います。

入退院を繰り返し、なんとか回復

その後入退院を繰り返し、なんとか退院、結局3夜を病院で過ごしたので4日間ぐらい入院していたことになります。

クスコのUDON

退院後はクスコの町でゆっくり静養していました。クスコっていい街ですよ。リマほど治安は悪くなく、夜出歩くのもそこまで怖くない。ネットも早く問題なくアニメ視聴ができる。後進国にありがちな停電もそこまでおきない。そして私のお腹を救ったのは、うどんを提供する店がなんと市内に3軒もあること!!泣きそうになりながらうどんをすする、惨めな日本人でした。

その後ラパスに無事に抜けた

その後、さらに標高があがるので体調の悪化が心配でしたが、なんとかラパスまでたどり着きました。

治療費は保険でカバー

クレカの付帯保険で全然いける!

治療費だが、全部クレカの付帯保険で落ちた。しかも、日本に帰国してからも病院に行ったのだが、それも全部クレカの付帯保険でおちた。クレカの条件によるだろうが、多くの場合、渡航期間が90日以内であれば、保険対象になるので、全然これでいいと思う

でも日本早期帰国は断念

でもクレカ付帯ではない、海外旅行保険に入っておけばよかったなあと後悔したことが一つある。それは、病気等の理由によって予定より早く帰国することになった場合、航空券代を保険でカバーしてくれるからだ。今回私はまじで日本に帰りたかったが、南米から日本までの片道チケットはアメリカ経由で10万円以上しており、簡単に購入はできなかった。こういうときに、クレカ付帯ではない海外旅行保険が生きてくるのだなぁと痛感した。

クレカ付帯保険でも航空券代がでることもあり!

医師の指示により、日本、または第三国で治療をする必要がある場合は、クレカ付帯の保険でも航空券代がでるようだ。一度医師に懇願してみるもの手かもしれない。

現に今回は私は、マチュピチュ村から、クスコの手前のオリャンタイタンポまで鉄道で移動したが、医師の指示によるものなので、数千円した鉄道のきっぷが保険でおりた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました